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H.R 様 女性(埼玉県 40代)
私の実家は東北で、年老いた母は一人ぐらし。
厳しい家計のなか、年に1度、お盆だけ4~5日ほど帰ります。
今年はこの震災。 東北新幹線は走っていましたが、また大きな余震で電車が止まったらどうしよう
…なにより大きな余震がまだ多かったのです。

帰れなくなったら困るので、今年のお盆は行かないと言うつもりでした。
ところが…「待ってるね」と先に言われてしまいました。
あの気丈な母が。 私は内心驚きました。

帰省した時、母は、やはり大きな地震が頻発して一人暮らしで怖く不安だったようです。親不孝をしていると感じました。
震災後は、今まで以上に、せめて電話でも、と、電話の回数ばかりはやたら増えました。
母との絆を再確認させられた震災でした。

M.R 様 女性(大阪府 20代)
ジュエリー、特にダイアモンドは女性にとって人生の節目に大切な人から贈られるものだと思います。
私が初めてダイアモンドをもらったのは20歳の記念に父からの小さなダイヤの指輪でした。
その時、ポツリと「いつかそれよりも大きなダイヤを好きな人からもらいなさい」と言っていたことを
今でも覚えています。 ずっと憧れていたダイヤの輝きを見る度に大人になった気がしていました。

2度目は彼氏から誕生日にもらった指輪でした。 初めての彼氏にもらった指輪は一番の宝物になりました。

そして3度目はプロポーズをされた時の婚約指輪です。
私にとっては大きなダイアに見えすごく感動的でした。
その日、父に見せると「お父さんがあげたものよりも立派だね」と言っていた顔がどこか寂しげでもありましたっけ。
人生の中で絆を感じる瞬間にはいつもダイアがそばにあり 3つのダイアが絆という名の宝物です!

S.Y 様 女性(山形県 20代)
これは昨年の震災の時の話です。
震災の日、私はショッピングセンターで子供と買い物をしていました。
突然、大きな揺れと共に照明が切れ、物が倒れてきました。
幸いにも私達の所には物が落ちてきませんでした。手探りながらも外へ出ました。

訳もわからないまま、両親に電話を何度もしましたがつながりませんでした。
夫にかけるとすぐにつながり無事を確認できました。
急いで家に帰り、子供がおびえており、一生懸命になだめ、寝かしつけました。
我にかえり、出掛ける前にしていた夫にもらったネックレスがないことに気付きました。

どこかに落としてしまったんだろうと思っていましたら、眠る我が子の手に固くにぎられていました。
ネックレスは切れてしまいましたが、私達は怪我もなく無事でした。

きっと、このネックレスが私達を守ってくれたんだと思います。
今もそのネックレスと夫を大事にしてます。

M.Y 様 女性(埼玉県 30代)
給料の3ヵ月分だと言って、父が母に贈ったダイヤモンドの指輪は、私の入学式、卒業式、
そして、お洒落をして出掛ける母の薬指に、いつも小さく光っていました。
父が早くして亡くなり、母は指輪を着けて楽しむより、箱を開けて見つめることの方が多くなり、何時しか、
指輪は母の指から消えてしまいました。 母の指輪は父の形見に代わってしまったのです。

女一人で私を育ててきた母の危篤の知らせに駆けつけると、まるで穏やかに眠っているかのようなのに、
呼びかけても、呼びかけても、もう、遠くに逝ってしまった後でした。
苦労ばかりの母の人生は何だったのだろう・・・と、握った手に目をやると、
痩せた指にひと回り大きくなった父からの指輪がキラキラとみずみずしく輝いていました。

母は、父の元へ旅立つ日が分かっていたかのようにそっと薬指に着けていたのでした。
私は、天国の父に「母を頼みます」と心でつぶやき、泣きながら笑いました。

A.H 様 男性(東京都 50代)

長年の付き合いで同棲中の彼女とは、彼女というより同士の仲でした。
お互い「結婚」という形に拘らないとして、 それはそれで僕たちのスタイルでした。

そんな時、母に頼まれた古い指輪のリフォームを取りに出かけた宝石店で、ショーケースを眺めていると、
販売員から「プレゼントですか?」と声をかけられました。 「いえ、いえ」と言いながら、店内を周る内、
店の奥にあるダイヤのコーナーに立ち止まり眺めていた時、「ご婚約ですか?」という販売員からの声賭けに、
ついその場に座り込むことになり、小さなダイヤの指輪を買うことになりました。
優柔不断な衝動的な行動でした。

そんな指輪を彼女にプレゼントした時、「私にも遅すぎた春が来たのね」と泣き笑いする彼女に僕は結婚を決意し、
プロポーズをしました。
指輪が僕に一歩前に進む勇気をくれたのです。
彼女の指には、僕がプレゼントした指輪とあの時母がリフォームした指輪が大切にはめられています。